依存症

パチンコ依存症のはじまりと、抜け出せなくなった22年間

 

ご挨拶

みなさんはじめまして。

僕は高校生時代からの長きに渡ってパチンコ・パチスロを辞められずに苦しんできた、筋金入りの依存症でした。

これまでにギャンブルで失った金額は1500万円にのぼります。

このブログは、僕の依存症時代の症状と苦悩、反省、後悔、そして依存症を抜け出すまでの道のりをみなさんと共有したいと思って始めたものです。

同じように依存症に苦しむ人が、抜け出すためのヒントになれば幸いです。

 

 

両親ともにパチンコ依存症だった僕の家庭環境

僕がパチンコ屋にはじめて入ったのは、小学生の頃。

 

父親がパチンコ好きで、それに影響を受けてまじめだった母もパチンコにはまっていました。

 

仕事終わりには、ほぼ毎日両親揃ってパチンコ屋に向かっていて、そんな両親について僕は妹と一緒にパチンコ屋の中で遊んでいました。

 

当時はまだそれほどパチンコは社会問題になっておらず、子供がパチンコ屋をうろうろしていてもたいして怒られることもありませんでした。

 

僕たち兄弟はフロアにおちているパチンコ玉を拾い集めては、ヤクルトに交換してもらっていました。

今では考えられない光景ですが、当時は全然普通でした。店員のおばちゃんにも可愛がられ、他のお客さんにもおかしをもらったりと、よくしてもらっていました。

 

今考えれば、僕らがヤクルトをもらう以上に親がお金を使っているのですから、パチンコ屋としてもまったく問題なかったのでしょう。

 

そんな環境で育った僕は、パチンコ屋に入るということになんの抵抗も罪悪感もありませんでした。

 

 

 

アルバイト初任給を持ってホールに向かった高校時代

僕がはじめて自分1人でホールに入ったのは、高校生時代

 

とくに不良ということもなかった僕でしたが、ちょうど思春期まっただ中で、タバコをふかし、ちょっとだけいきがりたかった年頃でした。

 

その頃、中華料理屋で友達とアルバイトをやりはじめ、はじめてもらったお給料2万円を何に使おうか考えていました。

高校生の僕にとって2万円というお金は大金で、とくに何を買いたいとか、使いみちのないお金でした。そこで色々と考えた結果、たどり着いたのが「パチンコに行って勝負してみよう」という結論でした。

 

 

もともとホールに入ることには抵抗はかなった僕でしたが、やはりはじめて自分1人でパチンコをするという状況に、ドキドキと胸が鳴りっぱなしだったのを覚えています。

そしてそこではじめて打ったのが、当時全盛だった「羽根物」と呼ばれるパチンコ。当時大人気だった「お竜さん」という台でした。

 

 

台の左右下にあるチャッカーに玉が入ると、「ようござんすね、開きます。えい!」という掛け声とともに台の中央にある羽が開き、玉をひろって、真ん中にあるお竜さんが見事に玉をキャッチすると大当たりという、シンプルながら面白い台でした。

当時はまだ無制限という概念がなく、打ち出して5000発出れば打ち止め終了といったルールが基本でした。

 

アルバイトで稼いだ2万円で通い始めたそのお竜さんで、勝ったり負けたりを繰り返しながら1週間くらいは遊ぶことができました。最終的には負けましたが、十分に楽しむことができてしまったことで、ここから僕はどんどんパチンコにのめり込んでいくことになります。

 

 

一気に悪化した大学時代

そんな高校時代を過ごした僕でしたが、大学生になって状況は一気に悪化します。

もともと、大学に行かせてあげるお金はないと親に言われていましたが、まだ働きたくなかった僕は無理やり浪人して、大学受験をしました。そこまでして親に負担をかけて大学に入ったにもかかわらず、僕はあいかわらずパチンコに夢中でした。

 

まわりの友達が学生生活を謳歌している間も、僕はパチンコにのめり込みました。

大学はほとんどいかず、お金のある日はほぼ毎日パチンコ屋に通いました。

アルバイトして稼いだわずかなお金と、学費として親からもらったお金、奨学金など手にしたお金はすべてパチンコにつぎ込みました。

 

当然勝てるはずもなく、すぐにお金は底をつきました。

それでもパチンコを打ちたい、負けたお金を取り返したいという思いから抜け出すことができず、友達にもお金を借り、親にも嘘をつき、黙って財布からお金を抜いたりもしました。

 

服や靴などにはまったくお金を使わず、何年も前のボロボロのシャツを着ていました。たまに大学に顔を出してもそんな格好ですから、周りからは敬遠されていました。

 

それでも、よい友だちに助けられ、大学の試験や出席もなんとかなり、卒業だけは無事にできました。
しかし、ここからますます依存症に拍車がかかっていきます。

 

 

 

平気で借金を繰り返しはじめた泥沼の社会人時代

大学を卒業したものの、社会人になんてなりたくないという気持ちが強かった僕は、まともは就職活動はしませんでした。

しかし、母親に泣いて説得されいやいやながら派遣会社に登録し、派遣社員として仕事につくことができました。

 

 

しかし、やはりパチンコ依存症は恐ろしい病気です。

社会人として働きだすと、学生の頃とは比べ物にならないくらい自由がなくなります。

毎日嫌な仕事を繰り返し、ストレスばかりがたまっていきました。
当然、仕事帰りには当たり前のようにパチンコ屋に通いました。

 

当時、爆発的にはやったサミーの人気スロット機種「北斗の拳」には、とんでもない金額を使いました。

僕がこれまでにパチンコに使ったお金は、ゆうに1500万円を超えています。

 

親に嘘を言ってお金をせびったり、黙って親の財布からお金を抜いたり、友達に借りたり、とにかくパチンコをするためならなんでもしました。

 

嘘を重ね、貴重な時間を失い、大金を失いました。

 

親とも何度も喧嘩をしました。嘘がバレると逆ギレしてごまかしたり、泣いてあやまったり、とりあえずその場を乗り切り、ほとぼりが冷めるとまたパチンコ屋に通う毎日でした。

 

 

もう自分の給料だけではお金が続かなくなり、とうとうサラ金に手を出しました。

 

当時のサラ金業界は盛況で、比較的簡単にお金が借りれました。

アコム、アイフル、武富士、ノーローン、プロミスと、借金を返すためにまた借金し、返済日を乗り切るとまたパチンコ屋に向かいました。

 

返済日が近づき、まずいまずいと追い込まれると、さらにパチンコ屋に向かい、残りのわずかなお金も使い切りました。

たった1500円しか持っていないのに、甘デジや5円スロットにまで向かいました。

 

せっかく買った定期券を2日で解約し、そのお金を握りしめてパチンコ屋に向かいました。そしてわずか1時間ですべてを失い、会社に行くお金もなくズル休みをするという悪循環を繰り返しました。

 

会社に督促の電話が鳴りまくり、誰がどうみても借金があるのがバレバレです。

もはや人生のどん底でした。

 

何度も死にたいと思いました。眠れずに泣きながら悶々とした夜を繰り返しました。

これからの未来に、なんの希望もありませんでした。

 

 

 

同僚が差し伸べてくれた救いの手

ところがある日、そんな僕を見かねた会社の同僚が、なんと借金額分を全額貸してくれると言い出したのです。

 

もう死ぬしかないと思っていた僕は、そこですべてをリセットすることができました。

 

その時の借金額は全部で450万円。月の返済額は利息だけで9万円近くになっていました。

 

全てのサラ金のカードを返済し、ハサミで切り、友達に毎月3万円ずつ返していくという約束をしました。

こんないい人がいるのかと、涙を流して反省しました。

 

 

 

 

借金のない生活は本当に天国でした。

 

 

 

普通に過ごせるということが、どれだけ幸せなことか、こんなに身にしみたことはありませんでした。督促の電話のない、普通の朝を迎えられました。

まっとうな顔をして外を歩けました。

 

もう一生パチンコなんてしないと、心の底から思っていました。

 

 

ところがです。

 

パチンコ依存症は、そんなに簡単なものではありませんでした。

 

サラ金には返済したものの、同僚には丸々借金があります。

毎月3万円づつ同僚に返し続けても何年かかるんだという気持ちが芽生え、ドカンと大勝して一気に減らせないか、そんな気持ちになっていきました。

 

そしてわずか3ヶ月後には、僕はまたパチンコ屋に通っていました。なにしろもらった給料は自由に使えるのです。この心の余裕があれば、今度はうまく勝っていけるだろう、そんな気持ちになっていました。

 

不思議なもので、心に余裕があるときはなぜか勝てるのです。久しぶりに打ったスロットで大勝しし、さらに3日連続で勝ち続け、あっという間に20万円が手元に残りました。

 

「いける!」そんな気持ちになっていました。

 

この調子で、友達の借金をパチンコで返せるかもしれない、そんなありえない想像を、本気でしていました。まさに依存症患者の思考です。

 

しかし、当然ながらそれは続きませんでした。それから4日後には、その20万円はなくなり、さらに5万円負けるというお決まりのパターンへ。

 

そして案の定、6ヶ月後にはいつも通りお金が足りなくなり、友達への返済も滞るようになっていきました。

 

 

 

 

そしてまたサラ金へ

気がつけばまた、サラ金5社に借金を作っていました。

 

なにしろ僕は借金を一気に完済した男ですから、また貸りたいと言えばどこのサラ金会社も簡単に貸してくれました。

 

そして完済からわずか10ヶ月後には、また400万円の借金ができあがっていました。

 

その頃には、もう自分でも何がなんだかわからず呆然としていました。

 

同僚からも逃げ回り、会社も休みがちになり、もうどうしようもなくなっていました。

本当に愚かです。クズです。救いようもありません。

 

死にたい、でも死にたくない。朝がくるのが怖く、夜も不安しかありませんでした。

このまま永遠に時間がとまってほしい。

 

 

もはやまともな精神状態ではありませんでした。

 

 

 

過払い金請求のと出会い

そんな時、ネットで見つけたのが「過払い金請求」というものでした。

 

当時、僕と同じようにギャンブル依存症での借金を苦に自殺する人が増えていて、社会問題になっていました。

 

そのため、サラ金の法定金利が見直され、過払い金が返還されるようになりました。

 

わらにもすがる思いで法律事務所に電話をした結果、過払い金の返還によってすべての借金がなくなることになりました。

 

サラ金5社から鬼のように鳴っていた電話は、相談した翌日にピタリとやみました。後は法律事務所の先生とときどき連絡を取りながら、必要な書類を揃えたりするだけでした。

 

半年後、過払い金請求は終わり、法律事務所の手数料を差し引きしても30万円ものお金が手元に残りました。

こうして僕は、また借金地獄から逃れることができたのです。

 

今度こそもう二度と、パチンコはしないと心に誓いました。

友達にもしっかりと返していこうと誓ったのです。

 

 

 

 

終わらない依存症との戦い

しかし、ここでもまだ病気は終わりません。

 

借金がなくなっても、やっぱりパチンコ依存症は治らず、使う金額こそ少なくなりましたが、給料の3割くらいはパチンコに使っていました。

 

 

 

なぜ僕はパチンコにいくのか。

もうまったくわかりませんでした。

 

 

 

行かなければ、普通に生活できるのです。

給料だって、手取りで25万くらいありました。そこそこ贅沢しても、十分に貯金だってできた額です。

 

パチンコに行かなければいけない理由なんてありません。

なのに、僕はパチンコ屋へ向かいました。やめようやめようと思いながら、3日に一度は行きました。
そんな生活をまた数年間続けました。

 

 

過払い金請求をした人間は、もうサラ金でカードを作ることはできません。

当然、サラ金会社のブラックリストにのりますから、どこの会社も貸してはくれません。

 

しかし、実はそれもしばらくの間だけの話です。

5~7年立てばブラックリストからも抹消され、またカードを作ることができてしまうのです。

そして、ある時サラ金に申し込みをしたところ・・・なんと借りることができてしまったのです。

 

 

それから後はお決まりの借金地獄へまっしぐらでした。

半年ほどで僕の借金は300万円にまで膨らみ、当然利息さえ払えない状況に陥りました。

 

この頃の僕は、もう誰からも信用されていませんでした。

450万円を貸してくれた友人以外にも、数人から300万円くらいは借りていました。

 

親が死んだ、妹が病気になったなど、つける嘘はいくらでもつきました。

 

 

もちろん、1円だって返していません。返したくても返せないのです。

返すお金があったら、パチンコで取り返さないといけない、そんな気持ちでした。

 

 

一体何度同じ過ちを繰り返すのか。バカは死ななきゃ治らないって本当なんだな、などとと考えながら、また眠れない毎日を繰り返しました。

 

 

二度目の債務整理へ

そしてまた、どうにもならない状況になり、また法律事務所に相談しました。

 

今度は任意整理自己破産を勧められましたが、僕は迷わず自己破産を選びました。

 

なぜなら、任意整理は返済額を少なくしてもらって、コツコツと返していく方法だからです。しかし、300万円を任意整理しても、最低250万円くらいは返していかなければなりません。

相当な月日がかかります。同僚への借金もあったので、現実的ではありませんでした。

 

 

それに対して自己破産は、すべての借金を0にすることができるため、その場で借金がなくなります。先生も自己破産を勧めてきました。

こうして自己破産によって、またすべての借金がなくなった僕でしたが、それでもまだ完全にパチンコ依存症を克服できたわけではありませんでした。

 

 

それからも数年間は、ちょくちょくパチンコ屋に行ってしまっていました。もはや終わることのない無限地獄でした。

 

 

最後に気づいた自分の中の本質

なぜ自分はパチンコに行くのだろう。

 

はっきり言って、もう僕はパチンコが楽しいなんて微塵も思っていませんでした。

 

行けば負けることも、身にしみてわかっています。有り金全部持ってホールに行けば、夜にはスッカラカンになって、ホール内を呆然と徘徊している自分が容易に想像できます。

 

自己嫌悪に潰されそうになりながら、親につく嘘を考えているでしょう。

貸してくれる友達がいないか、必死になって電話を掛けまくっているでしょう。

ほとんど面識のない知人にまで電話をしていることでしょう。

下手をすると、ドル箱を積んでいる年寄りが店を出てくるのを待とうかなんて考えまでよぎっているかもしれません。

 

 

パチンコに行かなければ、今持っているお金で普通に過ごせるのです。
なのになぜ、パチンコに行ってお金を捨ててくるのか?

 

 

 

そして気づいたのが、「結局自分は、働くのがつらくてパチンコで勝ちたいと思ってしまっているんだ」という結論。

できれば働かずにお金が増えないか、とありもしない幻想を抱いてパチンコにいってしまう人間だったんですね。

 

たとえ今のお金で次の給料まで乗り切れたとしても、それだけじゃだめなんです。

だって、結局は働き続けなければならないから。

ようは「働きたくないから、パチンコでお金を増やしたい」これだけなんです。

 

 

もし僕がただ単にパチンコやスロットが楽しくてホールに行ってしまうのであれば、5円スロットや1円パチンコでもいいはずです。たとえ負けても、少ないお金で長く遊ぶことができます。それでいいはずです。

 

ところが1円パチンコや5円スロットでは満足できない。つまり、お金ありきでパチンコをしていると言うことなんです。

 

 

 

この馬鹿な思考が、僕が負けても負けてもパチンコ屋に吸い寄せられる原因だったんです。

もちろん、昔からうっすらと気づいていました。働きたくないという自覚はありました。ですが、そこは自分で認めようとしていなかった部分だったのです。

 

 

 

 

 

パチンコ依存症患者は、日本という国の犠牲者でもある

働きたくない、お金がほしいという気持ちが強すぎて、パチンコで勝ちたいと思ってしまう人は多いと思います。むしろ、ほとんどの人に当てはまるのではないでしょうか。

 

僕は月収25万ほどの給料をもらえていたにもかかわらず、つらくてきついことばかりの仕事が本当に嫌で、人間関係にも毎日悩まされていました。

 

「いっそのことパチンコで生活できないかなあ」なんて気持ちが心のどこかにあったことが、勝てるはずもないギャンブルに1500万円以上のお金をむしり取られた根本的な原因だったのです。

 

この「働きたくない、でもお金が欲しい」という気持ちは、非常に厄介なものです。

 

なぜならこの日本において、仕事も楽しく、給料もたくさんくれるなんて会社はまずないからです。

 

つらくてきつい仕事を8時間以上、毎日こなさなければまともな給料なんてもらえない国です。

 

はっきり言えば、日本という国自体がパチンコ依存症を増幅する国であると言えます。もし、仕事がそれなりに楽しかったり、やりがいがあるのであれば、みんなもっと頑張って仕事ができるはずです。

ギャンブルになんてのめり込まないはずです。

 

ですが現実には、仕事はつらいことばかりで給料もごくわずか。

 

だからこそ、多くの人がギャンブルに逃げ込むのです。本当によくできたトラップだなと関心します。

 

パチンコ依存症患者は、日本という国の被害者とも言えるのです。

 

 

また、お年寄りも依存症になりやすい理由として、「時間がある」ということがあげられます。時間はあるのに、年金でしかお金が入ってこないというお年寄りが、ほんとに多く依存症になっています。

 

ちなみに年金の支給日はパチンコ屋の大回収日です。まともに狙われています。ほんとにえげつない国ですね。

 

 

 

 

抽象的な方法ではパチンコを抜け出すことができなかった

結局僕は、お金が欲しくてパチンコをしていたので、お金にならない趣味やスポーツに取り組んだところで、パチンコから抜け出すことはできませんでした。

 

 

・パチンコ屋に近づかないようにする

・家族に監視してもらう

・財布にお金を入れないようにする

・趣味を見つける

・医師のカウンセリングを受ける

・依存症患者の集まりに参加する

 

 

これらの一般的に言われているような方法も、どれも僕には現実的な対処法ではなく、まったく効果のないものばかりでした。

 

こうして依存症を克服できないまま、長い長い月日が流れました。

 

 

そして僕が36歳になったころ、ようやく依存症を脱出するためのひとつの光を見つけることになります。

18歳ではじめてパチンコをしてから、実に19年が経過したころでした。

続きはこちら

僕がたどり着いたパチンコ依存症の克服方法

 

 

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コウジ

小学生時代から親についてパチンコ屋に出入りをし、高校生時代には早くもパチンコ依存症を発症。

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22年間のギャンブル依存症生活を抜け出し、しあわせな日々を取り戻す。

依存症に苦しむ人たちに、依存症を抜け出す手助けをしたいとブログを開設。

 

コウジの依存症遍歴